日中に動けなくなる事が多いけど、その時は家族に助けてもらっています。
家族には感謝しかありません。
今日は二度目のうつ病が発症した経緯を書こうと思います。
きっかけは去年に遡ります。
住まいがある時からトラックが通ると異様なくらい揺れるようになった。
車庫を見ると地面が陥没して、地割れを起こしてヒビは壁にまで広がっていた。
建て替えしかない。
急遽、ハウスメーカーを探した。
80歳までのローン。
予算はオーバーしていたけど、見積もり通りなら払いきれると計算できたからサイン。
親孝行ができる喜びとワクワクする気持ちでいっぱいだった。
今まで以上に仕事を頑張って、副業も見つけて70歳までに払いきるぞ!!
やる気に満ちていた時だった。。。
食材費と光熱費の高騰。
それは病院給食にとっては特に大打撃だった。
飲食店以上に食事代を上げる事は容易ではないのだ。
給食費のしくみについてはここでは割愛します。
当然、冬のボーナスはカット。
払えるのか?
希望から不安に変わる。
毎日、支払いできるにか考えるようになる。
「何とかなる!!」
「やる前から不安になってどうする?」
自分自身を奮い立たせて、不安になっての繰り返しが頭の中をグルグル回る。
それもひっきりなし。
先細りしている事が明らかな会社にいて大丈夫なのか?
かと言って転職をして今の給料以下になったらローンどころか生活すらできなくなる。
先行きが不安で仕方なくなる。
そこに追い打ちをかけたのが人員不足によるパート業務をこなす事。
このパート業務をやるのがストレスでしかなかった。
職員の負担が大きすぎるから本社に何日かヘルプを要請してくださいと上司に何度も相談した。
しかし、上司はひと月に3~4日しか応援を要請してくれなかった。
応援を要請すると一日当たりの人件費が割増しになるからなるべく要請したくなかったのだろう。
「俺一人が頑張れば」
人に甘えられない性格の上司だから休み返上で穴埋めをしていた。
それはやがて、職員にも付けが回って結局はパート業務を月の3分の1~半分まかなうことになった。
シフト制でパート業務で日中から20時まで働いて次の日が早番で6時から仕事の時はほとんど眠れなかった。
もっと良くなる提案をしても私にはそのやり方は出来ないと誰かが言えば通らない。
仕事の質を上げようと考える人も職場にはいない。
そうなると、ただこなすだけの仕事。
働くことも苦痛になっていた。
胸が苦しくなってしゃがみ込む事もあった。
めまいがひどくて早退する日が増えてきた。
そして今年の2月5日。
パート業務で20時まで仕事の日。
いつもなら18時30分に15分間の休憩をして夕食の下膳、洗浄業務をするのだが、あまりにも胸が苦しくて休憩室で横たわった。
そこに会議を終わらせた上司が見かねて、パート業務を変わってもらい、そのまま心療内科に予約を入れて行った。
この時、妻も同行してもらった。
妻が隣にいてくれたのが物凄く心強かった。
色々な問診、診察の結果、うつ病と診断された。
やっぱり、再発したか。
ショックはなかった。
この先、どうなるんだろう。。。
家を建て替えていいのか!?
仕事はできるのか!?
俺がお金を出して家を建て替える
そう言った時の母親の喜んだ顔が浮かんだ。
その日は、せめておなかの中だけでも満たされようと回転寿司屋に妻と二人で遅い夕食を食べた。
美味しいはずのお寿司の味は何も感じなかった。
人ごみの中を自転車で帰ったけど、こぐペダルがいつもよりも重たかった。
続きは次回に。。。
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